間づくり研究所の所長である塚本直之が、ウェルビーイングを研究する予防医学研究者である石川善樹さんと「間」をテーマに対談を行いました。
対談者プロフィール
日本特有の概念ともいえる「間」
石川:コマニーさんは空間づくりを超えたところにある、空間、時間、手間に対してのご提案をされてるのですね。「間」は英語ではなんと表現されていますか?
塚本 :日本独特の概念なので、注釈をつけつつ” Ma“と表現しています。経営学者の野中郁次郎さんが「Baを世界語に」という話をされてましたが、それに近い概念です。
石川:「雑」や「間」は翻訳して海外の方に伝えるのが難しい概念ですね。
塚本:その訳す難しさに、ある種の日本文化的な部分があるようにも感じています。「間」って、関係性そのものを表す言葉でもあると思うんですね。英語では実態のほうが主語になりがちですが、日本語ではむしろ物と物の間にある「間」そのものが主体になることが多いです。たとえば人と人との関係性。むしろそれを作ることができることが、これからのウェルビーイングを生み出すのではないかと感じます。
日本の街づくりに見る「間」の感覚
石川:日本の街づくりにも「間」の感覚が現れていますよね。元々日本人は何もない広場のような空間が苦手で避けがちですが、それに対してヨーロッパの町は中心にまず広場があり、そこに人が集まる。1970年の大阪万博では、広場が苦手な日本人を集めるために、お祭りと組み合わせて「お祭り広場」が作られた例もあります。日本人は本能的にくねくねとした道を辿り、奥まったところに大切なものある作りが好きで、神社も鳥居から本殿まで真っすぐではなく、わざわざ奥まで歩かせるところが多い。それに対して西洋の教会は、入ると中央に礼拝堂がある。キリスト教信者が多い西洋では、高いところに神様が祀られていて、教会でもステンドグラスごし越しに高いところから光がキラキラと差していたりますよね。
塚本:確かにそうですね。
石川:視覚優位の西洋の建築に対して、イスラム建築は触覚優位でそこにいる人が心地よく風を感じられるようにつくられている。キリスト教に関する建築は光、イスラム教は風。でも神社は自然の中心にあって、五感の全てを使うように設計されています。日本建築も入口に対して奥があることが前提で、大切なものは奥にある。建築家の槇文彦氏も『奥の思想』という本の中で、中心概念を欠く日本の都市を特徴づけているものとして、奥という概念を提示しています。日本の場合だと三途の川の奥にあの世があったり、奥さま、奥の間、最終奥義など大切なものはいつも奥の方にある。口から奥を目指すときにすぐには辿り着かないことが大切で、そこに間があるんですね。
ウェルビーイングとは良い「間」をつくること
塚本:過去に石川さんが著書の中で、「ウェルビーイングとは良い間をつくることだ」という話をされていたのを拝見しました。石川さんにとって「間」とはどんなものでしょう?
石川:「間」について考えるとき、そのものだけではなく、人の行動全体を見る必要があると思います。人の動線設計を考えたとき、口から奥の動線をどう作るかをまず大切にすることが、都市設計やオフィス空間においての1つの柱になっています。この口の原型はやっぱり鳥居にあると僕は思っていて。日本人は古来から、鳥居的な口から奥に入り、初めて間にぶつかるという動線設計を好んできたので、それを都市設計やオフィス空間の設計でも守りたいです。実は日本の空間には、街にしても建築にしても必ず玄関口と奥があるんです。
塚本:その発想で都市を見ると面白いですね。都市の中で口から奥に進むことで、その先に間があるということと、ウェルビーイングは具体的にどう繋がっていくのでしょうか?
石川:口からすぐには見つからない奥を探し、くねくねと歩くことでだんだん日常から非日常に移行していく行為自体が、ウェルビーイングに向かう旅ではないでしょうか。普段はずっとウェルドゥーイング(=何かをすることに価値を見出す考え方)しているから、奥へ向かう中で、ありのままになっていくというか‥‥。
塚本:なるほど。ただゴールを目指して直線をただ進むだけでは、もう日常からは抜け出せないということですね。
石川:ゴールが見えると、早くそこに行きたくなりますね。そういうことから少し離れるために、わざわざ砂利石を敷き詰めて音に集中させて、雑念を取っ払ってリラックスするところもあるでしょう。口の間という言葉は使わないけど、奥の間とは言いますよね。だから間=だいたい奥の間になる。あとは居間、お茶の間とか。
塚本 :昔リビングルームって言うけど、人がリビングしてないよね、親父たちが死んでるよねってお話しもされてましたね。
石川:デッドルームですね(笑)リビングという名前は、Ing=現在進行形で変化し続けているイメージです。だから間は静的な空間では駄目で、常に変化し続けていないといけないですね。
塚本 :なるほど。動きや導線などの映像的なものも一緒に捉えないと、間はつかみきれないですね。
間の原型は縄文にあり!?縄文時代に見るコミュニティ作りのヒント
塚本 :今も都心で作られ続けている高層オフィスビルのデザインは、アメリカの20世紀初頭にできたゾーニングや行動規制が続いている結果でもあると思います。人口減少やリモートワークの一般化など、当時とは全く違うルールが生まれる中で、もし新しいビルや働く空間、間を作るとしたら、過去のルールとどんな風に付き合っていきますか?
石川:これからのオフィスに関しては、縄文時代にヒントがあるように感じています。ここにも間の原型があるかもしれない。1万2千年も続いた縄文時代は、コミュニティの進化の変遷もとても特殊です。青森の三内丸山遺跡にはその様子に関する展示もされているのですが、結局コミュニティの人数が増えると小集落に分散されて、その中でどう連帯を保つかがキーになります。縄文時代の場合、真ん中が空いていて、そこに祭りと墓の2つ機能があるんです。多くの場合、墓は人が暮らすコミュニティの外にあることが多く、中央に置いた例は世界でもあまりないと思います。 今日を生きている人は「明日のご飯あるかな?」など、常に未来に向かって生きていますよね。それに対して祭りは、今この瞬間に集中している状態で、死者は過去。この過去/現在/未来をどう繋ぐかですね。この例をオフィスに置き換えると、セントラルオフィスには墓と祭りさえあればいいんです。来たら会社のルーツや歴史と出会える場所と、みんなが今この瞬間に結束できるようなお祭り広場のような場所。
石川:西洋だと社会は生きてる人で構成されているのに対して、日本の縄文時代には死者や神も含めて構成されていて、意思決定の際に、「ご先祖さまや神様はどう考えるか?」を含めて考えるんです。生者、死者、神の三者が社会を構成するという考え方なんですよね。だから色々物事を決めるために、間が必要になります。現代の東京でいうと、三茶、下北、都立大、学芸大など山手線から2〜3駅ぐらいのところが間とも言えます。そこに個性的な人たちが沢山集まっている。外に行けば行くほどプライベートで、中心がパブリックになっている。パブリックとプライベートのちょうど間(あいだ)なんです。
塚本:パブリックとプライベートの間(あいだ)をつなぐ間は、まさに日本文化でいう縁側に当たる部分ですね。日本人は広場が苦手という話の通り、狙いを持って集合をかけるより、一期一会で家の前を通る人たちや、その瞬間偶発的に生まれた出会いから、関係性を作ってきたのではないかという気もします。そこでできるものこそ「間」ではないかと。
石川:新宿歌舞伎町のように、意図して丁字路を沢山つくる都市の設計は、偶然の出会いを生みやすいですね。丁字路はそこに行かないと奥が見えないけど、行くと予期せぬ出会いがあったりする。だからオフィスの設計でも、丁字路を沢山作る事例を他社さんと一緒にやったことがあります。結構広い空間だとしても奥が見えなくて、面白い仕上がりになりました。
塚本:それは面白いですね。確かに一見スカっと抜けているほうが広そうに見えますが、丁字路で先が見えないと、道がどこまであるかも想像つかないですもんね。